新商品開発秘話②~スキー宅急便~

発売当時の「スキー宅急便」配達の様子

発売当時の「スキー宅急便」配達の様子

リンゴの出荷後に冬がくると長野支店では宅急便で運ぶ荷物が激減した。
1982(昭和57)年当時のことだ。
運べるものを探すSDの目にスキー客とスキー板が飛び込む。
「あれを運べばお客さまも手ぶらになって楽なのでは?」それがスキー宅急便の始まりだ。

大雪の翌年に導入されたキャタピラー仕様の雪上車

大雪の翌年に導入されたキャタピラー仕様の雪上車

長野支店では長くて重いスキー板を運ぶ「スキー手ぶらサービス」としてこの年の12月に開始し、翌1983年4月まで1万7000個を運ぶ。
その年の12月1日に「スキー宅急便」を発売。
ところがお客さまの声で一気に知れ渡ったスキー宅急便が翌年の冬、新潟県内の大雪で配達に遅延が発生。年末年始にスキーを楽しむ予定のお客さまに荷物をお届けできない事態が発生した。
ヤマト運輸は、責任はすべて自社にあると判断し、お客さまのスキーレンタル代、ホテル代、電車代などをすべて負担する措置をとる。
この対応が信頼につながり、翌年の利用者数増加につながったことは予期せぬことだった。

スキー宅急便開始当初の石打営業所(1983年)

スキー宅急便開始当初の石打営業所(1983年)

このことを教訓に、雪上車の導入などサービス体制の仕組みづくりに取り組む。
常にお客さまへのニーズと期待に応えるため行動し、改善していく精神は、すべてのサービスに共通するヤマト運輸の考え方の一つである。