宅急便全国ネットワークへの道のり

山梨路線開通式(1984年8月)

山梨路線開通式(1984年8月)

宅急便の成長はネットワーク化との闘いでもあった。
1976(昭和51)年1月に関東一円からスタートした宅急便はそれまでに大和便が築いたネットワークを利用した。
同年3月末で日本全国の面積比では3.4%、人口比では25.4%だった。

しかし、「宅急便を我が地方にも・・・」の声が日に日に高まり、サービスエリアの全国展開は急務となる。
路線免許の申請を矢継ぎ早に行ったが、地元業者の反対を理由に運輸省からの認可がおりない。
公聴会での陳述や、地方の路線事業者との提携、路線営業権の買収・譲渡などを経て、路線免許を獲得していった。1991年には残っていた福井県の宅急便営業権を取得し、離島を除く都道府県単位での全国自社ネットワークが完成。そして1997年に10月には離島で残っていた小笠原諸島の父島・母島がエリア化され、文字通り全国ネットワークが完成。
じつに宅急便開始から21年の歳月が流れていた。

北東北路線公聴会で冒頭陳述を行う小倉社長 (1986年10月)

北東北路線公聴会で冒頭陳述を行う小倉社長
(1986年10月)

小倉昌男は「過疎地も含め、一つの県内一円で同じように翌日配達できてこそ、サービスの差別化を達成したと言える」として、全国どこへでも 翌日配達できるシステムとネットワークを構築することが永続的な需要創造の鍵であると信じていた。