宅急便誕生

最初の営業案内(1976年3月)

最初の営業案内(1976年3月)

戦後事業の多角化を図るが長距離路線への参入には出遅れた大和運輸。
さらに1973(昭和48)年のオイルショックにより会社は経営状態が悪化。
1971年社長に就任していた小倉昌男はこの状況を救う方策を模索する。
答えは「全国どこへでもどんな量の荷物でも運べる会社」。
ヒントはいくつかあった。
息子のお古を甥に送ろうとして不便だったこと。
扱う商品を一つに絞って成功した例(吉野家の牛丼、JALパック)などだ。
そこから昌男は、家庭から家庭への小口荷物配送に特化したサービスに絞り込むことで会社の危機を乗り切ろうとする。
1973年のニューヨーク視察では、UPS社の集配車が十字路に4台停車して作業する風景を目撃。
荷物の密度を高めれば小口荷物の配送は成功すると確信した。

基本方針、特色などが記されたマニュアル「宅急便の御案内」(1976年1月)

基本方針、特色などが記されたマニュアル
「宅急便の御案内」(1976年1月)

1975年には新事業のコンセプトとして「宅急便開発要綱」を役員会に提出。
若手ワーキンググループの検討で具体的な実施内容が固まっていく。
荷物の3辺合計は1m以内、重さは10㎏まで、包装は簡易で良い、1個500円で翌日配達を行うという実行案を作成。
こうして宅急便は1976年1月20日に関東一円を対象として電話1本で家庭まで集荷に伺う商品として発売された。