広報宣伝の歴史
広報宣伝は、大和運輸創業時から行われていた。
当時は荷馬車の運賃が1日6円程度に対し、トラック輸送は17〜18円と3倍も高額であったため、「僅(わずか)ナ時間、安イ運賃」のキャッチフレーズをチラシや看板に使用、スピードが必要な荷物を対象として、わかりやすい言葉で宣伝した。
小倉康臣が関東大震災後に他社を寄せ付けない事業としてはじめた引越荷と婚礼荷の宣伝には、花嫁姿と婚礼専用車を描き、型取ったチラシを宣伝に使用。
チラシだけでなく、美しく仕立てられた車輌、運転手が身につけた青襟の制服、革製帽子、丁寧な言葉遣いも、宣伝の一つとして考えられていた。
消費者への宣伝が活用されたのは宅急便が始まったころだ。
1976(昭和51)年2月に初めてのテレビコマーシャルをアニメーションで制作し、3月に東京12チャンネル(現:テレビ東京)で15秒スポットとして放映した。
キャッチフレーズは「電話ひとつで翌日配達できるYPSの宅急便!」。
同年女優・葦原邦子さん、1978年女優・和泉雅子さんと広告出演契約を結んでいる。
1979年にはラジオでCMソングの放送開始。
「♫クロネコヤマトの宅急便〜」は、軽快なCMソングとともに全国へ浸透していった。