戦後の事業多角化
日本経済が戦後の復興を進めるなか、小倉康臣はトラック輸送にとどまらずさまざまな輸送機関を組み合わせた事業の多角化に取り組んだ。
そのきっかけとなったのが、1946(昭和21)年に進駐軍(GHQ)の依頼による軍人の家財道具の梱包輸送を手がけたことだ。その関連業務として通関、航空貨物、海上貨物などの事業が拡大、1953年には各業務を統括する「事業部」を設立し業務の拡大の基盤を築いた。
1950年には、鉄道を利用した通運事業にも進出し、汐留、秋葉原、飯田町で営業を開始。同じころ、三越百貨店が都内配達を復活させると同時に、大和運輸の業務も再開した。
これが他の百貨店にも広がり1954年には百貨店部を設立。
1958年には美術品梱包輸送を開始。
ロダンの彫刻「考える人」やゴッホの「ひまわり」などの話題作も扱った。
東京コカ・コーラボトリング(現:コカ・コーラボトラーズジャパン・ホールディングス)の仕事は1961年に開始。
当時の区域・貸切事業の中で最も高いシェアだったこの事業は2009(平成21)年まで続く。
読売巨人軍の選手の荷物の運送、エリザベス女王ご一行、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪日時など、歴史に名を刻む著名人の荷物を運ぶ機会もあった。
康臣の言葉にもあるように、「いつの時代にも常に輸送のパイオニアとして」事業を創出している。