日本初の路線事業~定期便(大和便)~
小倉康臣が1927(昭和2)年、ロンドンでの万国自動車運輸会議に派遣されたときに、カーターパターソン社の定期便にヒントを得て、その仕組みを日本でもつくろうとしたのが、我が国最初の路線事業といわれる本格的な定期便だ。
その始まりは、1929年、東京ー横浜間の定期便だった。
その後路線を次々と拡大、1935年には関東一円の定期便網が完成し、翌年には名称を大和便と変更した。
1941年に始まった太平洋戦争の戦時統制下で大和便は休止に追い込まれ、
戦時中の1945年には中島飛行機武蔵製作所の疎開に伴う輸送を命じられ、「光輸送隊」を結成し、軍の物資輸送の任務を遂行。
会社を軍に組み入れるとの申し渡しがあったが、実行に移されないまま終戦を迎えた。
「大和」が生き残ったと感じた康臣は終戦後すぐに大和便による小口輸送復活に奔走し、
1946年には小田原線を再開。
1949 年には、ほぼ戦前と同様の大和便網を構築した。
この大和便網が後の宅急便ネットワークの基盤となった。