1、ふれあいをお届けする
音楽を届けるたっきゅうびん
全国のお客さまに、本格的なクラシック音楽を届けたい。音楽たっきゅうびんは、その思いで、1986年、昭和61年に始まり、現在まで続く、社会貢献活動だ。地方のお客さまや、小さなお子さんのいるかたなど、フル オーケストラでの生演奏を、ゆっくりと楽しむ機会の少ない方々に、生のコンサートをお届けする企画である。
初年は、石川厚生年金会館での開催を皮切りに、広島、福岡、名古屋と巡った。東京、大阪が含まれていないのは、二大都市には、クラシックを聴く環境が整っているから。入場料は無料で、親子をペアで招待した。演奏は地元のオーケストラに担当してもらう。司会は、ヤマト運輸の シーエム に出演していた女優、和泉雅子さんや、ソプラノ歌手の島田祐子さん、女優の宮崎美子さんらが務めた。「子どものときから、こんな、すばらしい本物の音楽を聴けるなんて最高ですね。これが楽しい思い出になって、クラシックを難しく考えずに、外国の子どもたちのように、肌で感じる音楽になるといいですね」と、のちに和泉さんは語っている。ロビーでは交通遺児のためのチャリティー募金がおこなわれた。これは現在も続き、小さな子どもが、握りしめた小銭を募金箱へ いれる様子が、各地の会場で見られる。
音楽たっきゅうびんは、これまでにないコンサートだけに、つくり上げる過程には戸惑いもあった。本格的なクラシック音楽を届けたいという思いから、一流の演奏家や、楽団に出演を依頼するのだが、おしゃべりをしたり、泣いたりする子どもがいることを気にするかたもいた。運営側も、無料招待であるがゆえに、実際の来場者数の予測が難しい。それでも、満足して帰って行く親子の姿を見ると、そんな苦労も吹き飛んだ。
スタートから5年めとなる1990年、平成2年には、大阪国際 花と緑の博覧会会場でも開催され、多くの人を集めた。指揮者の 石丸ひろしさんに代わり、ゲストの春風亭小朝さんが指揮棒を振るシーンも見られた。
東京で初めて開催されたのは100回目。1995年7月31日、赤坂のサントリーホールで、昼夜2回の公演をおこなった。約4000人の定員に対して、2万5000通以上の応募が集まるほどの人気となり、大きな盛り上がりを見せた。
そのご、子どもたちが持参した楽器で、オーケストラと一緒に演奏するプログラムも加わり、2006年には、クロネコ ファミリー コンサートと新たな名称がつけられた。
2008年からは世界的な指揮者である、飯森 ノリチカさんが、音楽たっきゅうびん、すべての公演で指揮台に立っている。音楽たっきゅうびんを、ライフワークと語る飯森さんは、オーケストラを、コンサート ホールの外へ連れ出す活動にも主体的にかかわっている。2010年には、なかなか本公演には行けない地域の方々を対象に、小編成オーケストラによる、アウトリーチ公演も始まった。奏者数は限られるものの、小学校や特別支援学校、公民館などに赴き、本物のクラシック コンサートをお届けしている。初回の開催地は、福島県の南東部、阿武隈高地に位置する、平田村にある、全校児童数44名の小学校だった。
音楽たっきゅうびんからは合唱組曲も生まれている。はやし のぞむ さん、作詩、上田真樹さん、作曲による、あめつちのうた、だ。初演は2013年の公演。以来、全国の合唱団で歌われるようになった。
2015年、音楽たっきゅうびんの30周年を記念するコンサートが、前述のサントリー ホールで開かれた。このとき、東京交響楽団を前に指揮をするというコーナーで、指揮棒を握った来場者のひとりは、子どものころ、広島で音楽たっきゅうびんのコンサートを楽しんだことのある女性だった。同様に、かつて来場されたかたの中には、親になって自分の子どもを連れてこられたご家族もたくさんいる。
ドッジボール大会で子どもたちの心身を育成
スポーツの楽しさも全国に届けてきた。1992年、小学生のドッジボール大会への特別協賛を始めた。大会名は、クロネコ カップ。第1回大会への参加申込は、全国で800チーム。選抜された24チームは熱戦を繰り広げた。
もともと、ドッジボールは、小学生にはおなじみのスポーツだが、当初は参加チーム集めに苦労した。全国各地で SD が小学校に案内状を配布した。
地区予選は、主管支店が主体となって開催するため、運営や審判の資格を取って参加する社員が増えた。やがて、全国の審判員のうち、ヤマト運輸の社員が占める割合が増え、佐賀県や滋賀県では、県内の審判員のうち、9割以上がヤマト運輸の社員だった時期もある。
参加チームが毎年約2800を超え、全国に届ける、という役割を終えたと判断して、2004年、第13回大会をもって、ヤマト運輸は、この特別協賛の役目を終えた。
現場から生まれた、こども交通安全教室
子どもから大人まで、誰もが利用する公道を使わなくては、ヤマト グループの仕事は成り立たない。こうした事情もあって、ヤマト運輸の各営業所は、それぞれの判断で、通学路での見守り活動や、幼稚園や、小学校で開かれる交通安全教室に参加してきた。その成果が感じられる出来事が、広島の住宅街であった。ある SD が配達を終えて車に戻ると、小さな子どもがふたり、待ち構えていた。そして、「車の下にボールがはいったので取ってくれませんか」と言う。自分たちで車の下に、入り込まなかったのは、2年前、幼稚園での交通安全教室で SD から、たっきゅうびんの車の下には はいらないように、と言われていたのを覚えていたからだった。
そのご、1998年から、子ども交通安全教室、現在のこども交通安全教室として、全社で取り組む、社会貢献活動へと発展した。翌年に、テーマソング、くるまはくるま、を作成すると、大人気に。振付もつけて、体操としても楽しんでもらえるようにした。
2007年には、保育園、幼稚園、小学校に加えて、特別支援学校でも開催するようになり、2019年3月には、累計の開催回数が3万回を超え、参加者も320万人を超えるまでになった。
子どもたちとのさらなるかかわり
世の中の変化、社会の要請に応じる形で広げてきた社会貢献活動もある。
たとえば、クロネコ ヤマト環境教室は、2005年10月に始まり、2019年3月には累計の参加者数が、240000人を超えている。まずは、副読本や、スライドなどで学習し、そのご、低公害シャなどを見学してもらうなど、各職場で伝えかたを工夫している。
1992年には、小学校5年生の社会科に、運輸と通信が加えられたことから、社会科見学の申しいれが増えることを予想し、パンフレットやビデオを用意して、体制を整えた。
このほかにも、子どもたちと触れあう機会を増やしてきた。子どもの職業、社会体験施設である、キッザニア東京、のちに、2006年、2009年、キッザニア甲子園に出展し、子どもたちが SD の仕事を体験できるプログラムを提供。車に加えて、台車での集配を体験してもらえるようにし、たっきゅうびんの集配のほか、交通ルールの厳守なども学んでもらう。
2006年から2017年までは、中高生を対象に、仕事を通じて、社会とのかかわりを体験してもらう、中高生経営セミナー (のちに、ヤマト運輸高校生経営セミナーに変更) を実施した。2008年からは、離島で暮らす中学生による野球の全国大会、全国離島交流 中学生野球大会 (離島甲子園) に協賛し、参加する選手の荷物の配送などを請け負っている。