創業者 小倉康臣
大和運輸株式会社(現:ヤマトホールディングス株式会社)の創業者、小倉康臣は1889(明治22)年11月29日に銀座で生まれた。
1919年、30歳の誕生日に同社を創立。創立時の社長は義兄、自身は1947年に社長となるまで専務として会社を運営した。
経営者として1931年に三項目からなる「大和は我なり」「運送行為は委託者の意思の延長と知るべし」「思想を堅実に礼節を重んずべし」の社訓を制定。
大和運輸を永く発展させ、社員の幸福、社会への貢献を実現するためには、社員の自主性、社員の心がけが最も重要と考えた。
朝礼での社訓唱和は当時から、継承されている。
1995年に「ヤマト運輸企業理念」が制定されるまでは社訓の三項目が経営理念として、会社の経営を支える土台となった。
この思想は桜にYの社章にも込められている。
花びら一枚一枚は社員、集まって花となり木となるさまに、全員経営を表している。
康臣は、創業から10年後の1929年には、日本で初めての路線事業となる定期積み合わせ輸送を開始(後に大和便と称し関東一円のネットワークを築く)。
戦後も通運、航空海運貨物などの事業多角化に取り組み、強靭な意志と行動力で大和運輸を大きく発展させてきたが、1969年、脳こうそくで倒れ、車椅子の日々となった。
相談役であった1979年1月15日に89歳で逝去。1月24日には築地本願寺で社葬が営まれた。